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“安全”と“安心”
― アメリカ流と日本流 ―
木村好次 (Yoshitsugu Kimura)
日米の隔たりは小さくない
牛丼が食べられなくなる!…大騒ぎになったBSE(Bovine pongiformEncephalopathy;牛海綿状脳症)は、日米の通商摩擦寸前にまで発展しました。この文章が皆さんの目に留まるころには、あるいは解決しているかも知れませんけど。
この問題は、日本人の考え方とアメリカ人の考え方の間の、大きな隔たりを浮き彫りにしました。「検査の限界はここまで、それ以上やっても安全性が上がるわけじゃない」。アメリカはそう主張し、「そうはいっても、とにかく全頭検査をやらなければ安心できない」。それが日本の主張でした。安全と安心の、どちらに重点をおくかの違いだということができるでしょう。
実は同じような日米の違いが、製造現場に対する考え方にもあるのです。
ぼくは今、プラントのメンテナンスに関する研究会に参加しているんですがそこで企業にお勤めのメンテナンスの専門家から、こんな話を聞きました。リスクをどう考えているか、日本の経営者とアメリカの経営者では、それが全く違うというのです。
まず日本の経営者は、製造現場のトラブルは、ゼロでなければならないというところから出発します。これはまさにスタートラインで、なぜゼロでなければならないか、
ゼロにすることが可能か、そういう議論抜きの、これは“前提”なんです。
といっても、経営者だけを責めるわけにはいきません。仮に日本で経営者が、「この現場での事故は、年に5回以下にしたい」なんてことを言ったとすれば、「けが人の発生を容認するのか、死者が出てもいいのか」と、たちまち批判の集中攻撃を浴びるでしょう。もともと日本人の考え方に、そういうところがあるんですね。だから、「リスクを存在させてはならない」と言わざるを得ない。「リスクは存在しない」、そう思って安心したいというのが、日本人の発想だというわけです。確かに、ぼく自身にもそういうところがある。
問題はその後です。「リスクはないはずだ」、話はこうなる。はやり言葉を使えば、「リスクは想定外」なんです。となると、「あるはずのないリスクに予算などつける必要はない」、理論上そういうことになる。これが、メンテナンスを計画する立場からは、大変困るというんですね。
お互いに学び合えるはず
アメリカの経営者の考え方は、製造現場のトラブルがある確率で発生するというところからスタートします。「ま、そういうもんだろう」と、アメリカの人たちは、まずそれを容認するらしい。主観的な安心よりも、客観的な安全を優先させる、という言いかたができるでしょう。
「リスクがある確率で存在する」、そういう前提に立てば、
どのようなトラブルがどのくらいの頻度で発生するかを数値的に予測し、それによってどのくらいの損失が生ずるかを算定するのが、合理的な筋道になる。その損失に見合ったメンテナンスの予算を計上するというのが、アメリカ流の考え方だというんです。
メンテナンスの立場からは、たしかにアメリカ流のほうがやりやすいということはありますけれど、ぼくはここで日本流の考え方が全部駄目、アメリカ流の考え方をすべきだと主張するつもりはないし、ましてや専門外の、BSE問題に口をはさもうというわけでもありません。
そうではなくて、もともと日本人の発想とアメリカ人の発想の間に存在する、このような違いをお互いが認識し、お互いに相手の発想を認めなくては話が前に進まない、そういうことをいいたかったんです。
今回、アメリカで刊行されている「Machinery Lubrication」の、日本版が出版されることになりました。そこには、日本オリジナルの記事も掲載していく予定です。
潤滑の現場においても、いまお伝えしたような日本流とアメリカ流の違いは、いろいろあることでしょう。それが並んで掲載され、そこからお互いに学ぶことがあったとすれば、それは潤滑・トライボロジーの実践にとって、とてもすばらしいことだと思います。そしてそれが、日本版発行のいちばん大きな意義になるのではないでしょうか。

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