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 後列左から、超塚、小室、前田、村島、矢島、 前列左から、古賀、宮田の各氏
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機械を停めない。そのために、日夜知恵を絞るレンゴー八潮工場のエンジニアが勢揃いした。巨大な抄紙機が上方でうなり声を上げている様子が、階下のここからも音と振動で分かる。抄紙機と同様、彼らが日々慈しむように見つめるのが、機械を支える油とオイルタンクだ。油が機械の状態を見極める大切な情報源であることを知り尽くした潤滑係たちの最前線をレポートする。(2007年 9-10月号掲載) |
取材:照山みどり(マシナリー・ルブリケーション)
撮影:本間晃
*文中敬称略
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段ボール、板紙メーカーとしてその名を知られ、約100年の歴史と共に競争力を培ってきたレンゴー。製紙業の国内市場では、トップの王子製紙、日本製紙に次いで第3位。中核事業の板紙業界では、王子板紙に次いで第2位の大手である。製品のほとんどが国内市場向けだが、近年は東南アジアを中心としたグローバル化も推進し、6か国26工場のうち、中国には小規模ながら製紙工場も有している。
八潮工場(埼玉県八潮市)は、同社が有する製紙工場のうち、最も規模の大きな基幹工場だ。敷地面積13万m2、延床面積10.3万m2、構内に5つの抄紙設備を持ち、日産能力約2,950トン。段ボールの主要原料である古紙を溶解する古紙パルパーは、大小取り混ぜて計11台。そして、紙の製造に欠かせないエネルギー源のうち電力は、昨年新設したバイオマス焼却発電装置や抽気復水蒸気タービンなどを組み合わせ、自給率を上げてきた。現在の自給率は75%を超える。
設備が設置される建屋の中は、高速で回転する多数のロールをはじめ、あらゆる機器から生じる熱、そして、使用する多量の水からの蒸気、乾燥工程全体を覆う熱風の影響で凄まじく暑い。この過酷なラインのそこかしこに、グリースガンを手にした作業員が黙々と手を動かしていた。この日は、3か月に1回施行している潤滑点検の日なのだ。
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| 潤滑管理の決まりごと |
 軸受系統の潤滑油をオンラインで点検する
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 ドライパートを階下でささえる駆動部。蒸気が溢れ出す
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八潮工場にとって大きな転機となったのが、1999年4月に実施されたレンゴーとセッツ(旧摂津板紙)との合併だ。当時はこれにより、レンゴーが単独で国内板紙メーカーのトップとなった。八潮工場、尼崎工場は、この合併によってレンゴーの拠点に組み入れられた。板紙のトップメーカーだったセッツのモノ作りの英知は、レンゴーとの融合を機に一旦シャッフルされることになる。これが、今の八潮工場の保全レベルを引き上げる契機の1つとなった。
抄紙機は、巨大な板紙用ロールに巻き取られるまで、一貫工程で紙を走らせる機械だ。八潮工場で稼動している抄紙機5基に対応する施設部の潤滑係は6人。平均年齢は35〜36歳という。このチームの任務は極めて明快で、「機械を停めないこと」。チームを率いるリーダーの宮田久治は、常に五感を研ぎ澄ませて、機械に備え付けられた油のサイトグラスを睨み、異変を直ちに察知できるように自らを追い込んでいるという。彼はこれまで、不具合を前に困惑する部下からの深夜の電話を、自宅で何度も受け取っている。異常を察知し、それを水際で食い止めるのが彼らの役目だ。休日であっても、事が起きれば現場に駆けつける。「ポンプ系統は、毎日触って歩け」。宮田が口にする常套句だ。慣れてくると、機械の前を通っただけで異常が察知できるようになる。彼らにとって、見て、聴いて、触ることが、最も機械の状態を判断できる材料だからだ。「まだまだ、予知保全のレベルはパーフェクトではない」(宮田)。ポンプのわずかな異変に気づかずに、壊してしまったこともある。しかし、合併後1年を過ぎた2000年以降は、自らの知恵と手を使い、解を求め、このような故障や不具合は激減した。
一般の見学者にはヘルメットと共に耳栓が支給されるような、轟音に満たされる抄紙機のラインで、異音や振動を直感的に区別できるという彼らの探究心は凄まじい。システムや材料サプライヤーに、分からないことは、何でも聞くという。ところが、同じ相談をしても、複数のサプライヤーから返ってくる答えは一致していない。意見を求めると、それも異なる。こうなると、頼りになるのは自らの知恵のみで、仮説を作って実践し、結果を繰り返し分析する。「不具合が激減したのは、宮田の粘り勝ち」と、上司は彼を讃える。
5号機が八潮に導入されたのは1974年。中芯の抄紙機として稼動したが、84年に転抄してライナー用抄紙機となった。以後も、改善、改造を繰り返している。日々の仕事をこなしながら、アップデートを重ねてきたレンゴーの潤滑・保全プログラムは、宮田の机の上のパソコンに大切に格納され、新人教育に用いる時は「決まりごと」と称して丁寧に教え込まれる。
八潮工場の潤滑・保全のカルチャーは年々洗練されてきたが、難しい問題はまだ残っている。“継承”だ。潤滑係は体力勝負の仕事。まして、3交代制24時間、休日は4日に1回与えられるが、機械が停まっているわけではない。仕事に習熟してきたと思えば、抜けていく人材もあり、ようやく今の体制で定着してきたのがここ2〜3年のこと。彼らは日々の実践から知識と技術を学び、やがては後の世代に継承していく役割もある。そのためにも、この決まりごとをできるだけ文書化し、普遍的なものとして引き継いでいくことが、目前の課題だ。
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| 「油は見た目である」 |
 オンラインろ過後の作動油のサイトグラス
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 抄紙機下では油圧タンクや天井配管が整然と並ぶ。 緑の安全通路は頻繁に塗り替えられている
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抄紙機は大別してウェットパートとドライパートに分かれている。ウェットパートはさらにワイヤーパートとプレスパートで構成され、ドライパートはドライヤーパート、カレンダー、リール、リワインダーの各部から構成されている。まずウェットパートで、調整された原料が均一に分散され、ワイヤーの上を流される。原料はテーブルロールやサクションボックスなどで脱水されていく。次にプレスパートで鉄芯にゴムを巻いた2本のロールの間を、毛布を介して圧力をかけ水分をできる限り搾り取る。乾燥工程のドライヤー、表面の細かな凹凸を平滑にするカレンダー、リールに巻き取り、実に92%もの水分を除去された状態で巨大なロールに巻き取られ、板紙は完成する。巨大な抄紙機の数万規模のしゅう動部がスムーズに動かなければ、紙は最終工程まで進まない。
潤滑管理の決まりごとが確立していなかった時代は、定期的にオイルサンプリングを行い、分析ラボに出し、予知保全に備えてきた。しかし、時には機械を停めて結果を待たなければならなかった。結果が出るまでに数日から数週間を要する分析ラボは、宮田たちには悠長すぎた。最終的に行き着いた宮田の結論は、「油は見た目である」。潤滑油や作動油は、品種によって透明であったり、はじめから色が付いていたり、特徴があるものだ。熟練してくると、経年変化はこの“色”で十分判断できる。
油交換の基準は、経験値で決まっている。1階に装備された油圧システムタンクの油は、3年に1回の頻度で交換する。しかし、徹底した省エネを展開する八潮工場の文化にそぐわないのではないか、と宮田は危惧する。確かに早めに交換すれば機械にはいいはずだが…。日々、油を見つめる宮田のチームは、油を維持する方法を含め、近い将来、さらに効率のいい状態監視のルールを彼ら自らが作り上げるかもしれない。 |
| さらなる効率化戦略 |
膨大な潤滑ポイントをどのように効率化しているのだろうか。宮田の考えで、「目に見えるところは手動給脂、見えないところ、あるいはシビアなところは自動給脂」と決まっている。これも、常に機械を意識的に見るようにするための措置だ。
一挙に効率的になると期待しているのが、軸受にセンサー機能を付加した状態監視システムの導入。現在、複数のサプライヤーと理想的なメンテナンスシステムを作り上げるための議論を進めているところだ。ただ、どこまで自動化するかは未定だ。全てを機械に診断させるのは、人間の技術力が低下するという意見もあり、構想は固まっていない。しかし、2008年には、試験的に状態監視システムを導入し、近未来の潤滑・保全プログラムを作り上げる基盤が築かれるだろう。 |
| 達成感 |
 5号機の外観。長網+ベルボンド+短網式のコンビネーション抄紙機
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 カレンダー軸受への給脂。部分的に自動給脂装置も採用
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2000年、5号機は第2次の大改造を行った。2か月後、数台の油圧タンクの中に突如としてスラッジと泡が発生した。やむなく作動油を交換したが、すぐに同じ現象が起こる。2004年の第3次改造の際、同じ油圧タンクが再度追加されることになったが、宮田は反対した。まだ、スラッジと泡の原因が突き止められていなかったからだ。しかし、油圧タンクの追加は強行され、スラッジと泡の問題はタンクの数だけ増えた。ひどいものは、気泡がエマルションとなって、タンクからあふれ出す始末。困窮した宮田が、ふとタンクの内壁を見ると、泡の隙間から赤い塗料が目に留まった。「この塗料が原因かもしれない」。それは直感だったが、確かに問題を起こしていないタンクには、その塗料は塗られていない。その後、複数の分析ラボに剥がした塗料のサンプルを出したところ、顔料のほかに、硫酸バリウムや亜鉛といった金属が見つかった。仮説が確信となり、直ちにこの赤い塗料は宮田たちの手によって除去され、ようやく作動油の状態は健全に戻った。そして、対策を施して2年が経過した今でも、作動油はなんら問題なく、さらさらと油圧系統内を流れ続けている。
原因が分かるまでは、タンクに外付けのクーラーを付けて冷やしたり、手作りのオフラインろ過装置を付けたり、知る限りのことを何でもやった。文献や有識者の知恵を借りても発見できなかった解決策は、状況を冷静に見つめたことによって得られた。この功績が2006年、八潮工場長賞として表彰された。潤滑係たちが、達成感を味わった瞬間である。 |
| パイオニアの工夫 |
 完成した板紙「ETS 160g/m2」。品種交換は1〜2日間隔
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レンゴーの創立者は、立志伝中の人物井上貞治郎。「段ボール」という日本語を考案したのも彼だ。明治42年、20坪の平屋を借り、奥まった6畳の部屋に、井上が考えた通称“なまこ紙”を作る機械を据えたのが段ボール製造のはじまりという。「機械といっても、波型をきざんだチクワロール二本を、左右二本の木製の支柱にわたしただけのもので、ロールについたハンドルを回しながら、厚紙のボール紙をロールにかませると、しわが寄ったボール紙が出てくる仕組になっている。ところがやってみてもなかなかうまくいかない。まず、紙のしわ、つまり段が左右不ぞろいで、出てくる紙が扇形になってしまう」1)。井上は結局、この不具合を、左右に分銅をつけるなどの工夫から解消したという。
モノ作りは、関わる者の工夫と、問題を解決する情熱によって成される。何よりも頼りになるのは、自らの五感なのだ。
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